「ずっと一緒にいられる贅沢」 と アルケミストスタッフの「鉄の掟」
- 2022.08.17
- 活動レポート
8月11日から、国立新美術館で学展が開催されています。
学展(がくてん)とは、全国学生アートコンクールのことです。
アルケミストからは、
平井紗弥ちゃんとおのさとこちゃんが出展・どちらも入選・入賞となりました。
さとこちゃんは初出展にして初入選!です。
さやちゃんは実はもう3回目。
初回は審査員特別賞。2回目は入選・そして今回は入賞です。
今回は、さやちゃんの制作について
記事にさせていただければと思います。
さやちゃんが初めてアトリエに来てくれるようになったのは
小学校1年生の時です。
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2017年夏。描くものは可愛いが顔が真剣
ものを見て描くのが好きで、
とにかく手を動かすのならなんでも好きな女の子でした。
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2017年秋。ペーパークラフトは今でも好き
コンテストに出すようになったきっかけは、
さやちゃんが3年生のときの、お母さまの大病でした。
急に、「ママを描く」とさやちゃん本人が言い出したのは、
お母さまの闘病中の最中のことです。
おそらく何か、自分でできる元気づけをお母さまにしてあげたかった、
ということなのかなと私は理解しました。
かなりモチベーションは高い、と判断したので、
今まで描けたことがないサイズの
大きな木製のパネルを用意して、描いてもらいました。
モチベーションが高い今なら
負荷が高くてもやり抜ける、と判断したからです。
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実は以前も大きな絵には挑戦していたのですが、
当時の彼女には難しくて、
アルケミストの年上のお姉さんたちが
相談に乗ってくれるということがあったのです。
![](/uploads/4dbd22ff96e8047e7bf5bd2d7c44a74f-scaled.jpg)
いつも集中して描くひとですが、
その時の淡々とした集中ぶりは目を見張るものがありました。
気迫が見えるという感じでもないのです。
淡々と、でも澄み切った集中がそこにある、そういった感じでした。
集中空間にダイブするといったらいいのか。。
大きく息を吸って、水(集中空間)に潜る感じです。
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そうやって描きあがった絵のおかあさまは
ぐっと顎を上げて、しっかり前を見つめる
生命力に溢れたものでした。
あまりにすごくて、そのままにしたくなくて、
私が勝手にお家の方に連絡をして
「コンペに出したらどうでしょうか」とご提案しました。
ちょうど、お母さまの手術の当日が
応募締め切りの日と重なっており、
お父様は本当にてんやわんやだったと思うのですが。。。
無事、コンペに応募していただけることになりました。
結果は初出展にして、審査員特別賞。
「うまい」も賞も目指してないさやちゃんの、
純粋な『ママへのメッセージ』が評価されたことが
わたしはすごく、嬉しかったのを覚えています。
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「ママを描く」ことが、
それからの彼女の、
楽しい年に一度の行事になったようです。
翌年は無事回復したお母さまが
何度もアトリエにモデルのために
通ってくださり描きあげました。
そして入選。
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![](/uploads/IMG_3480-scaled.jpg)
さやちゃんは、見て描くことが好きで得意な性分なんだろうな、ということは
見立てができましたので、5年生になってからは
日本画の先生にデッサンを学んでもらったり、
ちょこちょこと見て描く題材を投げたりしていました。
小学生なので、ちびっ子クラス所属で、
月の半分はテーマ制作をして
後半を自由に制作していたのです。
![](/uploads/a1e571fd4c3af5d93548295dd1293179-scaled.jpg)
でも、5年生も後半になると、
つねに「力が有り余っている」感じが見受けられました。
「テーマ制作」は、あまり手先が動かなくなってきている
いまのちびっ子に合わせたメニューで、
元々どんどんできる子にとっては
「すでにできていることをやるだけ」になってしまうからです。
そこで、さやちゃんは小学生ですが
6年生になったタイミングで
すべての時間が自由制作の
中高生クラスに飛び級をしてもらいました。
通う曜日とクラスを変え、彼女の実情に合わせた形です。
彼女自身の塾通いも始まったため、
日程的にもちょうどよかった様子でした。
![](/uploads/15f45f2067fb93d2c086ec0e04df2a7c-scaled.jpg)
そして迎えた3回目。
今年の学展の制作は「パパとママを描く」になりました。
![](/uploads/IMG_4542-scaled.jpg)
人物が2名に増えるので単純に作業量が2倍になるのですが、
1年の間にぐっと描写の力をつけていたのは見ていたので、
昨年の半分程度の制作時間で終わることを想定して進めました。
彼女が嬉しいのは「見た目通りに絵が描けたとき」。
それは押さえていたので、人物をリアルに描写するための
トピックスを少しづつ3年かけてお伝えしていたのですが、
今年の理解度の飛躍ぶりには内心唸ってしまいました。
なんか、急にきた。。。。。
という感じです。
私はたいして描ける人間でないので素直に感動しました。
「ママ行くよ!」と声をかけて集中モードに入り、
集中の時間が終わると、
くるん、と普通の小学生に戻るギャップもなんだか微笑ましかったです。
![](/uploads/IMG_2597-scaled.jpg)
アルケミストでの私のちびっ子へのレクチャーは
制作が好きで少しだけ先に生まれた人と後から生まれた人同士で、
ちょっと情報交換をしているようなイメージで行なっています。
絵の技術を教える側→教えられる側というよりも、
同じものが好きな仲間同士のやりとりに近いイメージです。
そもそも、少なくとも自分が小6の時はさやちゃんのように
こんなには絵を自在に描けずに
木登りをしてヤマモモを食べてただけですので笑
自分よりすごいひとに大層なことは言えません。
できるのは「きっかけ」を投げることだけ。
一緒に梅ジャムを作ったり、よもやま話をしながら
ちょっとした工作をしたり、
そんな日々の積み重ねでその人の嗜好が見えたら、
それに沿うかな?と予測できる『成長のきっかけ』をたまに
投げてみる。
![](/uploads/31f4243e1ba7815dab7caa1b1e8f86df-scaled.jpg)
スルーされる場合がほとんどですが、
今回のようにがっちりキャッチしてくれる場合もあって。
そういうときはキャッチボールが成立したなと思っています。
学校ですと必ず卒業があります。だからアトリエほど長くはみれない。
アトリエという場所で
長くいっしょにいることを
許されているからこそできる
贅沢なキャッチボールです。
![](/uploads/IMG_5158-scaled.jpeg)
小さかった女の子が乙女になって、
ぐいぐい制作が磨かれていくのを目の当たりにできるって
どんな映画より感動的ですし
めちゃくちゃゴージャスだなと思います。
どの曜日でもそういったちびっ子や大人の方はいて、
ある日突然、自分では及びもつかない飛躍を遂げます。
なんか。。。すごいよ〜!と単純にリスペクトして
しまいますし、だから現場は楽しいんだよな、といつも思います。
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***追記 コンペのことと「うまい」について****
今回のさやちゃんやさとこちゃんのように
毎年アルケミストではコンクールに出す人は大抵通るということをしています。
じつは他のコンペでもちはるちゃんが連続入選していたり・・・。
けっこう毎年「結果」は残しています。
ただ、こうやって記事にしてしまいますと
「絵がうまくなる」「結果を求める」アトリエだと思われてしまうかもしれなくて、
それがイヤですし怖いので、
あまり記事にはしてこなかった経緯があります。
技術的なものを磨くのがアルケミストの目標ではないからです。
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******
アルケミストスタッフとボランティアさんには一つだけ、
とても厳しくお願いしているルールがあります。
それはちびっ子の絵を
「上手(じょうず)(うまい)」と言わないこと。
先生、と呼ばれる立場のひとから「上手だね〜!」と褒められたら
嬉しいですよね。それって普通の人情です。
例えば教室である子がリアルな絵で褒められたら、
他の子も一生懸命リアルに描こうとしはじめます。
だって、褒められたいですから。
「上手だね」「すごいね」
と言われ続けたちびっこの何人かは、
いつしか「はじめは自分が好きで楽しく描いていた」ものを描かなくなって
「褒められるために、褒められるものを」描こうとしはじめます。
その子はもう、自由には描いてないんです。
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先生と呼ばれる人の言葉は、
すご〜くちびっ子に影響を与えてしまう。
元気づけたり喜んでもらおうと言ったことでも、
ときには彼らの制作の自由を奪ってしまうことだってある。
だから、うまいって言わない。
彼らの制作の自由を守るために。
アルケミストでは、
20年以上スタッフに対して言い続けている「鉄則」です。
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***追記2 さやちゃんのおうちの対応について****
この記事を書くにあたり、
平井家では、さやちゃんの制作を
どんなスタンスで見守っているんだろう?
ということが気になったので、直接伺ってみました。
以下はさやちゃんのママのお返事を
掲載させていただいています。
***以下ママのライン(原文ほぼそのまま)*****
・平井家の制作対応
→わたしには、絵心はありませんが、
モノを生み出す人へ気をつけていることがあります。
それは、『うまい、嫌いなどを言わないこと』です。
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アトリエの鉄の掟と同じだったとは
この記事を読んで初めて知りました。
なぜ素人のわたしがそんなことを気にしているのかというと、
さやにとって『絵を描くこと』が
いつまでも表現であってほしいからです。
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賞を取ること。
うまいと言われること。
そんな、外の評価と関係なく、
ただ描きたいという想いで描けたら。
表現がずっとさやの味方であってほしいと思うからです。
子どもは、無意識に喜ばれることをしたくなります。
でも、その気持ちは大人になってからは続きません。
情熱は自分の内からしか出てこない。
だからこそ、子ども時代の感性をそのまま
なんの混じりっけもなく表現したものを見たい、そんな願望もあります。
![](/uploads/d2f97d7fccd549afa62d2c526f6d7cee-scaled.jpg)
それは、わたしの母の職場の知的障害者の影響かもしれません。
子供の頃に見た彼女、彼らの絵が、
とてもエネルギーに満ちていて面白かったのです。
夫も、アートは自分にはわからない、
というスタンスでただ『ほぉ〜とかはぁ〜』と言っていて
とても微笑ましいです。
わたしは
アルケミストの先生とさやのケミストリーを楽しみに
子どもたちと生み出されるものを待っている
ただのファン、なんだと思います。
![](/uploads/87592.jpg)
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第72回学展(2022年度)EXHIBITION
<展示会期>
2022年8月11日(木)〜8月21日(日)
10時 – 18時
※休館日: 毎週火曜日
<開催地>
国立新美術館
アクセス
https://www.nact.jp/information/access/
住所:東京都港区六本木7-22-2
電話番号:03-5777-8600
※駐車場スペースはございません。
お車でお越しの際は周辺の有料駐車場をご利用ください。
「ご来館のお客様へのお願い」ページ(https://www.nact.jp/release/20201104.html)